昭和の初期に埼玉で

昭和初期の埼玉では、明治時代からの発展が続いて、緩やかな人口増加の状況になっていました。
戦時下に突入する中でも、地域の農業や生糸産業は隆盛を極めて、多くの人々が活気を実感していました。
1931年には西埼玉地震が発生し、荒川沿いの沖積地で被害が頻発しましたが、復興は順調に進みました。
1934年には上武大橋が永久橋として架けられ、北部地域の物流が活発になりました。一方で、1932年には戸田橋も永久橋になったことで、南部でも物流網が確保されました。
鉄道では昭和初期には八高線が全通し、西部地域においても活気が生まれました。戦後の時代になると、人口の増加が著しいものになりました。
昭和初期までは川越市や熊谷市が市政を施行していますが、戦後には追随する都市が続出しています。
この時代には日本全体の景気も良くなったことで、大宮などの繁華街も盛況な状態になっています。所沢や狭山などの地域でも、宅地化が進行した時代でもあります。